
魂が誰にでもあるとしましょう。
何故、人は魂の存在がありながら自覚することが困難なのでしょうか?
魂とか霊と言った話を聞くと、現実味のない作り話ように聞こえたり、理解はできるけど、実感として分からないと感じるかもしれません。
そもそも、魂と私たち人間はいつも一緒であるので、あまりにも自然なことで気がつかないという場合もあります。
言葉では形容しがたい感動を覚えたり、他人との一体感を感じたり。そういう風に、魂をはっきりと感じた瞬間を形容する言葉や話が少ないために、自分ではよくわからないのかもしれません。
魂とつながるということが、とんでもなく凄いことであるように思わないでください。つながると奇跡的な現象が起こるとか、聖者のように覚醒するとか、何でも分かってしまう超能力者になるというようなことでは必ずしもありません。
日常において、魂と直結した感覚を思い出すことがあります。自由を感じ、心から感謝で溢れるとき、人を無条件で愛せるとき、物事の流れに素直に従って安心していられるとき、何かワクワクすることをしきりに夢中になってやっているときなどです。
これらを感じているとき、アナタは時の流れを忘れています。また、自分が自分がというエゴの部分が小さくなっています。時間と空間を超越した何かと一体になった感覚がしています。
それは、目に見えてわかるものではないために、説明することができないでいるかもしれませんが、日常の中で、今までの人生の中で何度も体験しているかもしれないのです。
注意を払って、その感覚を頼りに自分の魂としての自分を体感すると、色んな能力が使えるようになっていきます。
魂の持つ、誰でもが持っている予見する能力、透視する能力、テレパシー能力、ヒーリング能力など、つまり、すべての存在とつながっているために、もっと多くの情報やエネルギーを引き寄せることが可能になるのです。
また、更に進んで魂への理解を深めてゆくと、核となっている真我に出会います。
想念の世界(霊界)を越えた部分であり、すべてがひとつである部分です。エゴというものが介在することができない、部分。魂の核です。
その核である部分は、私たちの本体であり、すべてを包括するものでもあります。
物理的にそれを把握しようとしてもできません。それは、愛がどんな形をしているかと問うのに等しいからです。けれども、愛の存在を否定する人はほとんどいません。確かにあるけれど、それを証明する物質的な証拠を見つけられないので、疑わしく思えてしまいます。
この上ない愛を感じたかと思ったら、まるでそれが存在しないかのような思いに駆られたりすることもあるかと思いますが、いつもいつも、人は「愛」ということを求めたり、拒否したりということをしています。つまり、そこから離れられないのです。
人が愛を渇望する背景には、自分の本体を自覚したいという欲求があります。つまり、魂の核である真我(愛で満たされている部分)を思い出したいという欲求です。
そこには、絶対的な安心があり、喜びがあり、平和があることを心のどこかでは知っているからです。
では、いっそのこと分かりやすくするために、この公式を覚えてください。
愛=自分の本体、神、または真我
これはまったくイコールであると言っても差し支えないことなんです。
私たちの本体は愛であり、光そのものである。これを否定することも肯定することも自由ですが、真実には変わりありません。
信じなければ悪いわけでもないのです。また信じたから良いわけでもありません。
どちらにせよ、そうなのですから。
こうしたほうがいいよとはいいません。ただ、そうなのだということをお伝えしたいだけなのです。
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