
「生きる」とはどういうことなのか?少しだけ今考えてみましょう。
「生きている」とはどういうことなのか?
「何のために生きているのか?」
今は、こういうことに答えを求める、そういう時代です。
なぜかと言うと、地球が次元を移行しているためです。今までと違う、もっと波動の高い意識へと移り変わっていきます。
今までよりも波動の高い領域ということは、本来の精神性、霊性に目覚める領域ということです。
つまり、魂だの、霊界だの、そういう話が今までは絵空事やとても神秘的な事柄であったけれど、これからは日常的になってゆくということです。
そして、そのスピードは加速していきます。
これは、怖いことではありません。当然の成り行きであるし、自分の本来の姿を思い出すということですから。
なぜそれが必要なのでしょうか?
今までの世の中は物質主義に偏りすぎな傾向がありました。ものの本質ではなく、生み出す結果を重んじている世界です。
お金や地位や名誉、それらはすべて、物事の結果であり、本質ではありません。
簡単に言うと、絵が大好きで描くと幸せを感じられた人がいるとします。
その人は、そういう仕事がしたいと思います。そして、仕事にありつけました。でも、生活を豊にしていくために、嫌な絵もたくさん描いていました。いつのまにか、絵はその人にとって、お金を稼ぐ道具であり、本人を幸せにするものはお金だと錯覚し、絵を描くことに幸せを感じられなくなってしまいました。
これは、物質主義的な世界に適応せざるを得ない状況で選択した結果です。
魂には役割があります。その人の持つ才能と大きく関係しています。
神様はその才能を使ってお金をいくら稼ぎなさいとは言いません。また、稼いではいけないともいいません。
しかし、本来その才能が与えられているのは幸せになるためであり、また周囲の人をも幸せにするため、喜んでもらうために与えられていると考えることができます。
これからの時代は、それをせざるを得ない、つまり、今までと優先順位が逆で、自分の心が豊になること、幸せになるように、自分の才能を発揮し、その結果としてお金がついてくる、または、精神的に満たされ豊かさを味わうということです。
目的は物質ではありません。
要はバランスをとっているわけです。押し寄せた波は、自然に引いていきます。とどまることがないのです。変化し続けます。
世界の歴史を見ても、同じ文明がずっと同じ状態であることはありません。
地球ということを考えても、変化し続けています。
「生きる」というのは、「生かされている」ということをもう一度よく考えて見ましょう。
与えられた命、それは親からもらった命ではなく、大宇宙の知恵が授けてくれた命です。
あなたの体を作ったのは人間ではありません。DNAを創造したのは誰でしょう?
太陽の運行の速度や地球との距離を決めたのは人間ではありません。
人間の体に宿る、奇跡的な自己治癒力を作り出したのも人間ではありません。
偶然ですか? それにしては、偶然が多すぎますね。
月の満ち欠けによって、生命の誕生が影響を受けるのも偶然でしょうか?
地球にある水の割合と人間を構成している水分の比率がほぼ同じ60%−70%というのも偶然でしょうか?
ですから、偶然ここに生まれてきたなんて考えるほうが間違っています。
これほど恩恵を受けた場所で、これほどの驚異を持っている生命体としてここにいることになんらかの意味があるとすれば、それは、「ここで生きる」という事自体に意味があるのです。
そして、神様は何も難しいことを要求したりしているわけではないのです。
「あなたの心が正しいと思うことを、喜んでやりなさい。幸せをたくさんたくさん感じて、世の中を喜びに満ちた場所にしなさい」と言っているのです。
そして、幸せになるための道具は全ての人に与えられています。
それは、想像力です。そして、それをどう使うかは人間にまかされています。
神様は「幸せになれ、でも一から全部自分の力でやるんだよ」とは言いません。
その証拠に、あなたは今生きています。太陽の恩恵、無意識に呼吸したり、しゃべったり、手を使えたり、食べ物を食べると消化され栄養になるなど、数え切れないくらいのプレゼントをもらっています。それから、考える力、想像力も。
ただ、その使い方を自分なりに学んでいるところです。様々な経験を通して。
「生かされている」と感じることは簡単なことです。そして、それは感謝を感じることと等しいことです。
極端な話、生きていることに意味はありません。生きていることこそが価値のあることなのですから。それ以上でも以下でもないのです。
何か特別なことをしていないと無価値だと思ったりすること、人と比べて劣っていると感じ自信をなくしたり、人を見下してみたり、そういうことは馬鹿げています。
お金を失い、仕事を失ったら生きる価値がないように感じるのも愚かであり、生きるということを理解していません。
生きるということに価値があるのです。この与えられた人生を生きているということがありがたいことであり、どんな人生であっても生き抜いていくとういことが素晴らしいのです。
だから、自分を恥じてはいけません。何がどうあろうと、どんな失敗をしてしまったとしても、まだ命があるということは、「生き続けて、やり直せ、学びなさい、乗り越えられるから」ということなんです。
だから、自ら命を絶ったりしても、結局また同じことを繰り返すことになるのだから、今やっておいたほうがいいのです。
命を絶つ(自殺する、或いは人を殺す)という行為は、責任の転嫁であり、責任の放棄です。
「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」というのは、何も一生涯に関わることではなく、刈り取られるまでつきまといます。
これは、やっかいな重荷ということではなく、自ら生み出したものに責任をとって新しい種を植えるためのきっかけを与えてくれます。
刈り取るのも、新しい種を蒔くということも、生きていなければできません。だから、生きてください。
時間の限られているこの人生です。誰でもいつかは肉体を手放すのです。そう、誰でも死ぬのですから、自分から急いで死ぬのは愚かです。
大変な思いをして今を過ごしているかもしれません。でも、3年後にはとてつもない幸せを迎えるかもしれません。
人に想像力が与えられている限り、それは可能なのです。
でも、死んでしまえばその可能性もなくなってしまいます。
生きるとは、生かされていること。そして、生きることこそに価値があるのだから、生き抜いていくこと。何があっても生きること。それが、誰にでも与えられた使命なのです。
そして、与えられた人生をどう生き抜いていくかは、与えられた人にゆだねられています。
山あり谷ありを楽しむ態度を身につけるのか、ただ周囲の物事に振り回され、与えられた創造力を認めないで放棄してしまうのか。
誰もが幸せになるためにここにいます。過去がどうであれ、幸せになるためにすることは、生きているということに感謝すること。
自分の人生を呪ったりするのは馬鹿げていることだと肝に銘じてみましょう。
自分の人生は自分で創造しているのだと認めてみましょう。
自分の人生は自分次第でいかようにも変えられる物だということをしっかり覚えておきましょう。
自分の意識が優しく、愛に溢れ、豊であり、平和なイメージに満たされるほど、現実がそうなってゆくのです。
生きるということは、生かされているということ、だから、基本にあるべき態度は感謝なのです。ただただそれを続ける。そういう気持ちで周囲に接する、仕事をする、ものを食べる、鑑賞する、関わる、自分自身に対しても同じことです。
意識的にそうすることで、人生の中に感謝することがどんどん増えていくのです。
日常に感謝することがあふれている毎日・・・
あなたの幸せのイメージはどんなものですか?
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