悟
心の中に平安の場を作りましょう。
波風ひとつたたぬ湖面のように、澄み切った匂いと音と風景を心に満たしてみましょう。

「自分」というものを手放すとき、「大いなる愛」は姿を現して私達を導いてくれるでしょう。

それは、私達の本性であり、仏性であり、魂の本質なのです。誰の心にも神が宿るのです。草木にさえ、神が宿ります。生命あるものすべて、そして、人間によって作られたものの背後に息づく神の存在を感じてください。

形あるものに心を奪われてはいけません。それは表現であり、本質ではないからです。人の表情を伺うのではなく、その人の目のずっと奥にあるものを、奥深くにあるその神聖なる輝きを見てください。

その輝きを見つけたとき、あなたはその人を愛さずにはいられなくなるでしょう。あなたが見ているのはほかならぬ神そのものだからです。

悟るために必要なものは、すべてを愛で満たすこと以外なにもありません。こんなに簡単なことなのです。ただ、人は愛するということがどういうことであるのか、わからないで苦しみます。

何十年も座禅をしたからと言って、愛を見出すことができなければ悟ることはできません。なぜなら、求めている真我(神)は、<愛そのもの>だからです。

こういうことから、人と関係をし、親となり、子となり、恋人となり、良きパートナーとなり、兄弟となり、同士となり、教師となり、生徒となり・・・いかなる関係においても愛をもって関わることを学んでいます。それは、魂が持つ、<愛を思い出したい>、<自分の中の神にふれたい>という欲求です。

今ある人生、自分自身を見つめてください。そして、そこから逃げたり、憎んだり、後悔したりするのではなく、そこに愛を広めて下さい。難しいですか?

不完全な自分を見て、抱きしめてあげましょう。過ちを犯す人を自分のことのように思ってみてください。なんと簡単に憎しみに心を奪われてしまうことか。でも、そうではなく、もし、その人が自分の子供であったらと考えてみてください。

どんなに酷いことをした人であっても、同じ地球に住む人間なのです。傷ついた、愛に飢えた人間であるということを分かってあげましょう。罪人に必要なのは体罰ではなく、優しさであり、人の温かさであり、愛です。

本当の神は<裁く>ということを知りません。そう、知らないのです。それは、裁くということが必要でないこと、そして、愛よりも必要なものは何も無いと分かっているからに他なりません。

もしも、道を迷い、自分のことを裁いている時、又他人を裁く時、あなたは神から遠ざかっているのだと知る必要があります。つまり、愛が一番必要なとき、あなたは自分から愛を遠ざけているのだということです。

無邪気な子供の笑顔を見て心の中に暖かな光を感じるとき、あなたは神を見ているということに気がつかなければなりません。美しい花にうっとりとするとき、あなたは神の無尽蔵の創造力と生命力と神秘に敬服している自分に気がつかなければなりません。愛しい人の幸せを心の底から願う気持ちがあるとき、あなたは神自身になっているのだと気がつかなければなりません。

あなたは既にたくさんの神を日常に体験しています。しかし、それを単なる日常のひとコマとして捉えるだけで、自分の中にある神に触れた瞬間だとは思わないのです。もし、そう意識することができるのであれば、神を確信する出来事を毎日のように目の当たりにすることでしょう。

悟るというのは、気がつくということ。自分が大いなる宇宙に見守られた愛に溢れた、愛そのものの光であるということに気がつくということです。そして、その愛は自分の内側から際限なく溢れている泉であり、どこかから奪ってくるものでは決してありません。

苦しいと思うとき、様々な混沌とした思考や感情を一度捨ててみましょう。あなたの中の光にすべてをゆだねて、心の中を頭の中を空っぽにしてみてください。大きく深呼吸をし、すべてをゆだねます。

心の中の深い深い場所に光があります。その光に自分のすべてを託して、抱きしめてもらいましょう。

静けさの中に、エゴの喧騒が静まった、恐怖や不安という心のさざ波が鎮まったとき、自分の本質と対話し、叡智に触れ、平安の中に生きることができます。

神と人間を隔てているものは、「同じはずがない」という感覚、考えに過ぎません。そして、愛を受け入れるのにかしこまる必要も、畏怖の念を抱くことも必要ではないのです。赤ちゃんが両手を広げて母親の愛を無邪気に求めるように、それほど無垢な気持ちで、自分の中の神に心を開いてください。







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