心の処方箋
今の時代、色んな複合的な要素があいまって、本来の人間としての「感覚」が疎くなってしまっているのをどうにも否定できません。

つまり、人と人の心の触れ合いであったり、親子の関係であったり、心と体の関係でもあり、また人間と他の生命体との関係、人類と地球の関係であったり・・・。いろんな所において、本質の部分からかけ離れてしまって、どうバランスをとっていいのかやっと向き合い始めた、そんな印象を受ける今日この頃です。


一生命体である人間は、知性がある一方で霊性を持っています。これがバランスを崩すと知性が一人歩きをして、全体を見失ってしまいます。或いは逆に霊性ばかりに目を向けると、ここで生きている意義を見失ってしまいます。物質的な世界にあまりに疎遠になってしまうし、表現、結果であるこの世界を無意味に感じてしまいます。

あまり難しい話をしても仕方ないので、日常レベルで、このことについて考えてみましょう。


例えば、「今日はやる気満々だ〜!調子いいぞ」と思っていたのに、夜には疲れ果てて、「もうどうでもいいや、あ〜あ〜」なんてことあるかと思います。或いは、精神力に長けていて、弱音を吐く自分に鞭打って頑張って頑張って・・・でもあるときにプチンっと糸が切れてしまったり。

頑張れる時の自分は皆大好きなんです。何かに燃えている自分、前向きな自分、いいことをした自分など。でも、逆にそうでないときは、大体において、必要以上に自分を責め立てたり、無価値感を抱いたり、失望したりします。要はそういう期待に応えられなかった自分が大嫌いというわけです。

しかし、完璧な人はいませんから、誰でも落ち込むことはあるし、調子のいい時もあったりと変化しています。そういうものなのです。だから、いちいち自分が下がってしまったと言って自分を攻撃し、更なるプレッシャーを与えることはあまり意味がありません。

誤解を招きそうなので補足をしますが、これは、何もしなくてよいということではありません。
もちろん反省点を見出して次に活かせるようにする必要があるでしょうし、やり方がまずかったのであれば、微調整をするためのアイデアを考えたりする必要もあるでしょう。

しかし、いいたい事は、落ちている自分を卑下したり、侮辱したり、責めたりする必要はないということです。

例えば、料理で使うコチジャンを買いに行こうと思って、間違って豆板醤を買ってきました。そこで、いつまでも自分のバカさをグダグダ言っていると、本当に些細なことで、立派な能無しになってしまいます。単純な例えですが、こういったレベルのことで自分を卑下してしまう人は結構いるものです。

「あ〜間違った。返せないから、今度から気をつけて、今日は違うメニューを作ろう」っと、これで済むわけです。どんなに馬鹿だということを言っても状況は変わりませんから、自分にムカつくだけ嫌な時間とエネルギーを使うことになります。その上、ダメージを大きくしてしまいます。

「昨日まであんなに頑張ろうと思ってたのに・・・今日はまたダメだ。なんて意志が弱いんだろう、なんてだらしないんだろう、なんてクズなんだろう・・・」っと自分を責めて前向きになることができるでしょうか? おそらく、ダメな自分というアファメーションを何度もしているおかげで、やる気がなくなり、またできない自分に腹が立ち、失望し、焦り、もがき苦しみます。

そうではなくて、「あ〜そうか、やれる以上のことをやろうとしてたんだな。もっと簡単に楽しくやれるように微調整したほうがいいかも。決めたことができないなら、やれることをやっていけばいい」

これは、反省しているけど、微調整であり、前向きに進み続けていますから、自信にもつながります。一度にたくさんやって早く今の状態を改善しようとすると「負担」になって、失敗します。

「あの部長、本当にムカつく、今度会ったらなんか言ってやろう」などと思い続けるとロクなことはありませんから、「そうか、今日はムカついてしまったけど、明日もムカつくかもしれないけど、でも一言でも部長のこと褒めてみよう。ほんの一言でもいいから」

一気に状況が変わることを望むとだいたい失望に終ります。体の面でもそうです。魔法のようにあっというまに変わると楽でいいですね。でも、現実的には多少時間がかかるものです。

だから、微調整や小さなことをちょこちょこやっていると、自分にパワーがあることを実感できるのです。結果的には、地味な作業をしていくほうが地固まる的な感じで安定していきます。

朝からいきなり夜になることはありません。冬からいきなり夏になることもありません。種を蒔いた瞬間に花が咲くこともありません。生まれてきた3秒後に大人になることもないのです。

心のケア、体のケア(同時進行でしょうが)人間関係、仕事などすべてに関して結果を急ぎすぎることで余計なフラストレーションを生み出して辞めてしまわないようにしたいものです。

寛容であることは大切だと思います。

子供がモノを壊します。大きな声で感情的になって怒ります。子供は親の反応に恐れおののきます。自分がダメな人間であると思います・・・・。これって教育でしょうか?

本当はもっと違うように対処できるはずです。

「○○ちゃん!!!」と言って叱るのを辞めることです。名前を暴言のように使うものではありません。褒めるときは名前を使って、叱るときはしてはいけない事をしたという事実に対して叱る。決して本人を否定するのではなく。

私達は理想的な親のもとですくすくと育ってきたわけではない人がほとんどでしょうから、いろんなことを親から言われたりされたりもしているかもしれません。だからこそ自分を教育して、磨いて子供や他人、そして自分自身にもって違う愛のあるやり方で接していかないといけません。

もし、自分に寛容さがないと思うのであれば、寛容な自分になれるためにできることをちょこちょこはじめればいいのです。一日一回必ず自分に対して「素敵だね。かわいいね。よく頑張ってるね。大丈夫だよ。ありがとう」などの言葉を鏡に向かってかけてあげるとか。

最初は一回でもいいと思います。顔を洗うとき、歯を磨くとき、風呂にはいるときなど。今日一回言えたら、明日は二回、あさっては3回。(本当はもっとたくさん言って欲しいけど)

そうすると負担でなく、習慣的になっていきます。癖になっていく。

自分にポジティブな言葉をかけてあげるという行為は、自分の心への栄養です。自分でできる処方箋です。これを義務としてやるのではなく、なにげなく声をかけてあげる。当たり前のように言ってあげる。

鏡に言葉を貼り付けておいてもいいかもしれません。コツは頑張らないことです。必死にならないこと。なにげにやるっというのが長く続くコツだと思います。

自分の心が安心を感じ、ほのぼのした温かさに触れていると、どんどん健康になります。そうすると気分がよいので、必然的に体も調子がよくなります。そうすると、周囲に対してもちょっとずつ寛容になれます。そうすると、周りから好意が寄せられます。ますます自分が楽しくなっていきます。

楽しいな〜、ありがたいな〜という気持ちは宇宙の高波動とつながります。自分の魂の根源とつながる波長です。

そうすると、自然にどのように生きていけばよいのか、何が本当に大切でそうでないかがなんとな〜くわかってきたりします。

自分の知性は霊性の成長のために使われます。世界がどんどん平和の方向へ進みます。
物質界を楽しみながら、必要以上にモノに執着しないために、モノ得るための人生ではなくなります。
幸せになります。本当の意味で幸福になれます。

これが正しい生き方なんていうつもりはないのですが、こんな考え方もあるよということを書いてみました。

私達の本質は、喜びであり、愛であり、豊かさであり、叡智であり、光であり、平安であり、調和」です。

そう、私達はこの本質に気がつくためにここにいる。求めているものは既に自分の中に存在しているということ。

そうでないことに意識を固定しすぎなのかもしれませんね。だから物事の本質が見えないでいるのかもしれません。





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