光の存在達、そして真我
守護霊、背後霊、指導霊、マスター、天使・・・など呼び方は色々あるけれど、どれもこれも大きな意識の一側面です。私達も「私」という意識を持っている限り、この大きな意識の中の一部という状態であり続けます。
波動レベルの差によって、こういう分離したような錯覚が起きるのですが、肉体を持っている私達からすれば、目に見えない存在達というのは、荒唐無稽なものに思えてしまうかもしれません。
しかし、どこからかインスピレーションが湧き上がる、モノの正否を直感的に知るということは誰でも多かれ少なかれ体験していることだと思います。危ない目に遭いそうになったときに直感的にそれを回避できたり、或いは答えを求めていたら、それを教えてくれる人や本に「偶然」導かれたり。
光の存在達は常に無条件の愛によって、私達を導き、人生の案内役として活動し続けています。
それぞれの役割は違っていても、又指導できる許容範囲は違っていても、私達をより早く学ばせ、幸せへと導きます。そのゴールは真我です。(真我は私達の魂の本質、大本である本体ということ)
山を想像してみてください。山のふもとに立っている人の見る世界は色々なものに遮られているので、少し後ろと先の道しか見えません。先に行くとどうなるかということはわかりませんし、過去と未来における視野がとても狭いものとなります。これは、波動レベルで言うと比較的人間的、或いは低いレベルのガイドです。
もう少し上に居る人!?の場合、もう少し視野が広いために、もっと総括的にアドバイスをくれたりします。少し遠くの未来や辿ってきた道のりを考慮してのアドバイスができるということ。人生経験ということからも日常的なことを伝えてくれたりもします。
このように、上に上にと上がっていくに従って存在している意識の視野が広がっていき、持っている能力や影響力も大きくなり、またアドバイスの内容が魂の成長ということに焦点がおかれていきますが、頂点にいる(自分の核にある)真我はすべてを把握し、すべてを見通せる場所にいるため万能であり、全知でもあります。通過点には様々な領域があり、(アストラルレベルなど)そこの住人は多種多彩です。
一般的に「スピリチュアルガイド・霊的指導者」と言われている存在達の目的は、たったひとつです。それは、私達を本来の姿である「真我」へと導くことにあります。つまり、どんな存在であれ、山の頂上にいけるように案内してくれているということです。
今、一代スピリチュアルブームです。ものすごい数のセミナーや本が比較的ポピュラーな部類として扱われています。その中には、「次の通過点にいかに到着するか」ということをメインにしているものがたくさんあります。
これを批判するつもりは微塵もないのですが、通過点を目標にしていると道に迷うことが多々あります。
何故迷うのかというと、どんなことでもあるのですが、いわゆる<グレーゾーン>が必ず存在しているからです。
アストラルレベルは言ってみれば山の山頂手前にある領域、山の中腹にあたります。そこには限りなく広がる心を奪われてしまうような素晴らしい町並みや面白い現象がたくさんたくさんあるのです。そして、ここはイメージの世界ですから、自分の思念が干渉できる場所であるために、本質が見えにくい場所でもあります。エゴが介在できるので、どのようにでも自分が好むように作り変えのできる場所です。
ここは、自分が悟ってしまったかのような錯覚を起こせる場所ですし、また情緒豊かに神秘体験などが出来る場所なのです。それだけインパクトがあるので、「私は神に出会った」という<疑似体験>をすることも可能です。しかし、ここは通過点だということを忘れてしまうと、それ以上に上があるのに、留まってしまいます。
ガイドはそれぞれがある一定の波動を持っています。ラジオのチャンネルのようなものです。波長といったほうがよいでしょうか。私達の意識が純化され、素直な心でいるとすっとキャッチすることができる波長でも、一端アストラルの世界のとりこになってしまうとエゴが暴走して、チャンネルが見つからなくなってしまうという危険性を孕んでいます。
マスターや天使と呼ばれているような存在、そして神仏の神々など、山の山頂付近にいるものが本物、その中腹にも似たような意識が存在しています。どこからが中腹なのかという曖昧さがあるので、これを見極めるためには、山頂に行くしかないのです。
今たくさんの人がマスターや神仏、また自分の守護霊ということでコンタクトをとろうとしています。それは良いステップなのですが、あまりにもたくさんの想念が集中するために、だんだんとつながるための受信機が汚れていくといわれています。ひとりよがりな都合でアクセスを続けると段々と波動が下がって、妙なものにつながってしまったりします。
妙なものとは、エゴがつながる場所ですから、エゴを助長する、振り回す、弄ぶ、そういう次元です。そして、人生が狂ってしまったりします。実際私の友人は20歳そこそこで妙なものとつながってしまい、結局精神病院に行ってしまいました。
山には素晴らしい植物もあるでしょう、めずらしい花も咲いてるでしょう、美味しい果実もなっているかもしれませんが、その中には毒を持った生物や植物もあったり、崩れそうな崖もあったりするのです。
山頂に位置する「真我」に向かってまっしぐらという姿勢でいると、(つまり、心を磨いて素直でいること)たくさんのお助けがあり、大飛躍することも多々あるのです。
「真我」は全知全能だといいました。そこに行くと波動の低い想念がもともとの原因である病気、不調和、不足、不安などがなくなり、安心して人生を楽しんで生きることが可能になります。ガイドとしての役割を担うのが「真我・ハイヤーセルフ自身」となり、いつも見守られている、導かれているということが実感としてわかり、事実として感じ理解できるようになります。
私達がこの今の地球に生きている間は、ここで生きるしかありません。それも、できるだけ幸せに喜びを表現していく人生を生きることが目的なのです。それを可能にするのは、自分の本来の姿を思い出すことです。
体の調子が悪ければ、病院に行って薬をもらいます。これは普通のことですが、病気の本質を分かって、自分には治せるパワーがあるということに気がつかなければ、それを何度も繰り返すことになります。つまり、山の中腹でうろうろすることになるということです。(医学を非難しているわけではありません。ただ、限界があるということです。しかし、私達の本質である真我には限界がありません)
ひとりひとりが本来の輝きを思い出し、喜びいっぱいで生きる人が多くなればなるほど、全体を引き上げます。道を切り開いていった先人達が多ければ、後から来る人達はどんどん楽に山頂に到達できます。そして、今は本当にそういう時代なのです。
地球レベルで「大浄化」が起こっています。そこに住む私達も同じです。この浄化エネルギーを最大限に活用して、さくさくっと真我へつながっていけるそういう時代です。
ガイド(案内役)は、真我への案内役。うまく使ってくれることを願っています。ただ、ガイドに到達し、コミュニケーションを深めることを目的にしてしまうと結果的には時間を無駄にしてしまいます。
僕は自分のガイドと仕事をしていた時期があります(今でもありますが)。聞いたことがあります。「なんで、ガイドさんはいるんですか?」と。そうしたら、「真我に導くためだよ」といいました。「誰でもそうなの?」と聞くと、「結局はそうだよ」といいました。そして、ガイドとしての奉仕をし、無条件の愛を学ぶ課程がガイド達の進化(純化)になるのだといいました。
僕はガイドがどこの誰かなんて知りません。名前を聞いても「必要ない。メッセージの内容を重視しなさい。心に響くものを大切にしなさい」といつもいつも言われていました。
「私」と言う存在も、「ガイド」という存在も、大きな山の一部。全てを見通せるものは真我です。本当は分け隔てるものなどないのだけれど、私達にとっては都合がいい面もあります。「あなた」と「私」、「神」と「私」・・・そうやって、結局は自分自身が何であるのかをお勉強しているのです。
☆愛のないガイドは無視しましょう。(偽者は愛を感じられませんし、薄っぺらな感じがします)
☆エゴを助長しているだけ(特別扱い的なメッセージ)のガイドは無視しましょう。どうやっても自分のフィルターがかかっていることをお忘れなく。
☆本物のガイドは直接答えを教えてはくれません。自分で分かるように導いてくれるだけです。(大切な学びを奪うことはしません)☆どんなに波動の低い存在でも直接私達を操作することはできません。ただ感化できるだけ。感謝の気持ちが足りなくなると、ここにつながる可能性が大きくなるので要注意です。焦ったり、比べたりするとこういうものにひっかかります。
☆真我を目指しましょう。(目指すというより、思いだせるように心のお掃除をしましょう)結局は自分自身なのだから。遠い別の存在という意識があるだけ。愛そのもの、光そのもの全知全能である自分の本質があると、きっぱり断言しましょう。
☆そして、ガイドはガイド(案内役)です。自分の本質ではないということをインプットしておきましょう。
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