五感を磨く

僕は最近「*音叉」を購入しました。チューニングフォークというものですが、一般的に売られているものでなくヒーリング用のでっかい音叉です。
(*音叉=おんさ:ギターなどのチューニングに使用する一定の周波数の音を出す二又のフォークのようなもの。)

でっかいので、音の出ている時間も音量も長くて大きい。これをチャクラに共鳴させて調律したり、エネルギーを浄化したりするものです。

単純に耳で聞いてもいいのですが、とっても面白いことが起こります。

ずっと聞いていると音がどんどん減衰していくのですが、本当に聴こえるか聴こえないかの音になるまでずっと聞いていると自分の意識が一緒にどんどん広がっていくのが分かります。

音を聴こうとして自分が音を求めて微細な世界にどんどん広がっていくのです。

これをしばらくすると自分の聴覚がとっても鮮明になっているのがわかります。

日常から色んな雑音や騒音にまみれている耳は微妙な音に無関心ですから、「聴こえる」と認識する音量や質が自動的に狭くなっているのだと思います。音を無意識にシャットアウトしているのかと思います。

でも、こういう音叉のような極少レベルの音をずっと聴いていると本来の耳の機能がアップするのです。

これで、音楽を改めて聞くと聞き逃していた微妙な音が聞こえますし、音から伝わる繊細なニュアンスが生き生きと伝わってくるのです。


また、人間は本当に凄いなといつも思うのですが、ソムリエという職業があります。ワインの鑑定士?といったらいいのでしょうか。本当に一般人ではわからないくらいの味や風味を選別でき、また、どんな料理にそれがあっているのか、凄い人だとどこの何年もののワインなのかが見なくてもわかる。

グルメな人なら、料理の繊細な味の見分け方を知っています。どんな材料なのか、どんなスパイスなのか、どれくらいの鮮度なのか、何がどういう風に味のハーモニーを作り出しているかなどいい当てたりします。

日本には「香道」といって、香りを楽しむ、お香のソムリエ的なものもあります。

また、盲目の方は点字で読み書きができます。またピアノを演奏したりするのもみたことがあります。

耳が聞こえないのにシンクロのダンスを数十名で踊る中国?の団体もいます。(見ました?千手観音を踊ってた人達です。すごいですね〜)

有名なスティーヴィー・ワンダーもほとんど視力がないといわれているのに、未だに現役でバリバリ歌っています。

生命力というか、人間の計り知れないものがあることに驚愕してしまいます。


普段の生活の中で私達はあまりに多くのものに接していて、また半強制的に与えられ続けています。町を歩けば、四方八方から音が飛び込んできます。飲食店からいろんな匂いがしてきます。排気ガスや汚物の匂いもあります。まばたきはするけど、起きている間は色んなものを無差別に目にしています。


先に述べたような驚異的とも思える能力は先天的なものもあれば、後天的、つまり訓練によって開発されたものもあります。必要にせまられて、或いは好奇心から。


さてさて・・・、僕はこの「五感を磨く」というタイトルがインスピレーションで来た時にちょっと戸惑いました。「なんで五感なの?第6感ってならわかるけど・・・」

でも、あることをふと思い出したのです。あまりに当然で忘れていたこと。

僕はヒーリングをする際に、クライアントにエネルギーの滞りがあると、それを取り除く作業をしますが、その時に「臭い」を伴うことがあります。溜まっていた汚れたエネルギーに臭い??と思うかもしれませんが、臭いがあるのです。

質感もあります。ドロッとしてたり、もやのようにふわふわしていたり、濃い煙のように質量を感じさせるものだったり、また湿ってなんとも生臭いものもあります。

僕は臭いにとっても敏感です。というか、臭いに対する意識が強い??だから、ヒーリングをする時そういう感じ方をするのかもしれません。

よくいいますよね、「うう??アイツの話、なんか・・・臭うぞ」なんて。「臭いものには蓋をしろ!」とか。面白いです。もともと臭いとは関係ないのに、そういう例えがあるなんて。

でも、本当に臭うんですよね。「ウソ臭い」なんてのもそうですね。

人間は、鼻だけ、耳だけ、目だけという具合にバラバラに各器官を使っているわけではなく、相互的に作用させているわけです。だから、食事でも、人間関係でも、あらゆる器官を総動員させて対象物の分析、判断などをしていることになります。霊感の強い人はこれにサイキックな能力が加わるわけです。

すごく話が飛躍してしまうように思われるかもしれませんが、もしもっと人生を楽しみたいと思うなら、またもう少し感覚的に優れたいと思うなら、五感を磨くというのはとっても早道だと思います。

全部というのは難しいかもしれませんが、例えば臭い。「臭い」ということに対して意識が強くなっていくと色んな事をかぎ分けられるように感覚が研ぎ澄まされていきます。

これは物理的なことに限りません。「オーラを嗅ぎわける」なんてこともできることだと思うのです。

目で言えば、まずよくよく休ませる、暗闇の中にいることが必要かもしれません。暗闇の中ではモノが見えません。目を凝らしてもすぐには見えない。でも一時すると目が慣れて見えてなかったものが見えてきます。そして、もっと意識を広げると結構鮮明に見えてくる。微弱な光に対して反応できる機能がオンになるわけです。そういう目で色彩豊な映像や絵画を見ると、色が飛び出してくるように見えます。


ここでいいたいのは、五感を磨いてくというのは、結局感覚を高めるということなので、微細なものに対して敏感になるということです。

普段目にすることがない世界や聞こえない、感じ取れないと思っている微細な世界が存在しています。そういう世界を感じ取る<感覚>が高まるともっと自然のこと、自分のこと、他人のこと、ガイドさんのことなどいろんなことが分かってくるかと思います。

瞑想というのは自分の周りにあるあらゆる情報源から遮断して、また自分ということすらも忘れていくことが必要ですが、きっと五感を磨いていくことによって感覚が研ぎ澄まされると、瞑想するときにも役に立つのではないかと思います。

スピリチュアルとか瞑想とか、なんだか人間というものから違う世界に行くようなイメージもあるかもしれませんが、今持っている能力を伸ばしていくということから、感覚を磨いていけるし、自分を磨いていくことだってできると思うのです。

触感、聴覚、臭覚、視覚、味覚、どれも日頃から使っているものです。後はほんの少し、味わう時間を増やすだけ。

周りにあるものを手でじっくり触れてみてください。どんな感じがするか?温度差、質感、印象、色によって感じが違うかもしれません。目を閉じて触ってみましょう。

結局、そうやって細やかな世界を味わう感覚を磨くのです。


今の社会はどんどん大雑把になってきていると思うんですよ。ものも溢れて、時間もなくて。流れ作業的に生きてしまったりしているかもしれません。だから、物事に鈍感になってしまうんですね。

もっと繊細な世界がわかってくると、人の怒りを「痛い」と感じたり、イライラを「痒い」と感じたり、感謝を「あたたかな光」として感じたり、優しさを「気持ちよい」と感じたりします。

当たり前のような事ですが、こういう感覚が乏しくなると、平気で人を無碍にできたりしてしまいます。また、自分がたくさん怒りやストレスを抱えていても結構平気でほったらかしてしまえるのです。

優しくすると自分も相手も気持ちがいい。怒鳴りつけることは殴ってることに等しい。イライラすることは毒を撒き散らしているようなもの。感謝の心で生きると光を振りまいているのに等しい。

・・・っということなんです。

だから、特別な訓練とかではなくても、日常のなかで、しかも今ある能力をもう少しだけ伸ばす努力をすることから始めてもいいのかなと思います。


今もしも何かの教室に通ったり、趣味などで何かをされているなら、五感をフル活用してみてください。普段と違った楽しみ方もできるのではないかと思います。

絵を習っているなら、その風景から臭いを感じとってみてください。
歌を習っているなら、歌声に色を感じてみてください。
料理なら、音を感じてみてください。食材に耳を傾けてみてください。
・・という具合にです。


そして、いつか幸せを見事に嗅ぎ分けることができるように、見つけて、感じて、聞いて、幸せを存分に味わえるように、日頃から楽しく磨いていきましょう!!







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