私達って不思議な生物です。肉体を持ち、物理次元にしっかりと生きているし、
精神性という部分も持ち合わせている。
目に見えるもの見えないものが合わさった融合体という感じでしょうか。

エネルギーという言葉を聞いて、どんなことを連想するのかというのは、人によって違うと
思います。ある人は電気のようなものを思ったり、引力のような力を想像したり、
また波動といったものを思う人もいるかもしれません。

エネルギーとはこうであると雄弁に語ることができないのですが、いえることは、全てをとりまいているものであり、ほとんど全てのものに流れているものでもあり、その本質を表わしている
ブループリントのようでもあります。よくわかりませんね。僕にもうまく説明できません。

たとえば、私達に肉体が無かったとしましょう。つまり、感じたり、考えたりする部分だけで存在しているということです。(霊体はこういう感じ) 物質はとても不安定になります。というのは、私達は手で触れたりすることができるために、モノを相対的に観察し、又創造することができるからです。

触ることができないのに、どうやって車を作ることができるでしょうか。料理だって作ることも味わうこともできないという状態です。

もしも、私達がエネルギー体のみの存在であると仮定した場合、そこにあるものをどのように分析し、理解し、感じ取るのか想像してみてください。

例をあげると、ここにダイヤモンドがあります。目がないのですから、ダイアモンドの持つ形や硬度や質感をバイブレーションで感じ取り、そこには色彩的な要素や感情に訴えかけるような波動を感じ取ることによって、それがどういうものであるかを判断します。

そのダイアモンドがどういう経緯を辿ってきたのかという印象のようなものを感じ取るかもしれませんし、場合によってはよくない波動として感じたり、その輝き同様に自分自身が光を増したような感覚がするかもしれません。つまり、その対象となるものに同調して、その変化によって理解するという感じでしょうか。

人についてはどうでしょう。例えば、ある人がとっても怒っているとします。でもそれを見る目も、怒りを表現する口も、聞き取る耳もありません。ですから、荒々しいとがったような波動として感じるでしょうし、自分のエネルギーが引き裂かれるような暴力的な印象すらあるかもしれません。逆に、とても優しい人の波動は、自分のエネルギーすらも柔らかにしてくれ、安心を与えてくれます。

っと、たとえ話をしましたが、これは実は実際に日常的に行われているやりとりです。

私達は肉体の存在であると同時にエネルギーの存在であり、エネルギー的なコミュニケーションを絶えずしています。誰かのことを思うとイライラするとか、落ち着くとか、経験したことがある人もいるかと思いますが。こころあたりありませんか?

私達は、日常を様々なレベルで感じています。五感で感じ取る分析するということ以外に、感覚的(第六感的に)にも様々なことを体験しています。人によっては、物理次元で分析する度合いが多い人、また人によってはもっと直感的な部分で判断する度合いの大きい人、また、この両方をバランスよく組み合わせる人など様々です。

自分には第六感などないと思っている人ですら、気がつかないだけであって、それを使っていることだってあります。ひらめきとか、ふとした時に何かを正しいと感じる力などもこれにあたります。お化けが見えるとか霊体験をするといった類のものは、この延長線上にあるものにすぎません。

私達の中には,あまりに直感的な部分が発達しているために、幼少の頃から、混乱した人生を体験する人もいます。人の心が伝わってきたり、考えていることがなんとなくわかったり、でも相手がそれと食い違う言動をすると(特に大人は心と裏腹な態度をとったりします)、なんで違うことを言っているんだろうと混乱したり、不信感を抱いたりするのです。

これは、持って生まれた能力であるから、正しく使われるような学びをする必要があっての試練があるのですが、正しい情報を提供してくれるようなものが周囲にないと、長い間この能力によって振り回されてしまうということを体験するかもしれません。


自分の考えがまとまらない、人に見えていないもの、感じていない別の次元のものを感じていたり。なので、往々にして、こういう人達は孤独を感じており、また、その能力を優越感を抱くための行為として、使ってみたりと、本人の正しい理解と使い方がわかるまで、これによって人生を振り回されることになります。

誤解しないで欲しいことは、こういう能力というのは、特殊のようではありますが、音楽の才能や芸術の才能というようなものと同種のものであり、能力があるからといって、人間的な優劣とは全く関係ないということです。(またそもそも魂に優劣はありません)もし、自分にそういう能力があるのでしたら、自分の魂の目的のひとつとして、その能力に翻弄されない、人を幸せに導く、自分を幸せに導くため、つまりは、魂の成長のためのものであるということを自覚する必要があるということです。

今からの時代には、各人の魂が覚醒していく段階で、こういうサイキックな能力が開花していくことがあります。もっとテレパシー的になっていったり、予知能力的なものであったり、しかし、結果的には、それは魂の質としては当然備わっていることであり、めずらしいものでもなくなります。


恋愛において、ゴタゴタを抱えている人などがよく経験することですが、いつもの自分ではなくなるということがあります。意識が散漫になったり、ぼーっとして、地に足がついていないような、精神的にも不安定。鬱気味で、ふとしたときに理由もなく寂しさや虚しさ、或いは怒りを感じたり。互いに否定的なことを妄想したりして、不信感をつのらせたり、行く末を心配したりすると相乗効果で、互いに苦しみを与えることになります。これは、相手とつながっていて、相手からの念波を受け取っている状態です。相手にしてみても、同じことが起こっているわけです。

恋がスタートした時点では、お互いのことを素晴らしいと思っていますし、大好きという気持ちがあって、互いの良い部分に焦点をあてていますから、それはもう夢ごごちのような幸せを味わうこともあります。これも、互いに出している想念が互いにとって良い物だからこそ、そうなるのです。

恋愛でなくとも、会社の上司や同僚、とても気の合う人ならいいですが、とっても嫌いな人達がいる時、あなたは実際口に出していっているわけではなくとも、「嫌いだ。キモい。どっかいけ」というような念を送っており、相手もこれを受け取っています。意識的には気づかないかもしれませんが、あなたを見ると怒りを覚えたり、ついつい嫌味の一つでも言ってやろうかと言う気持ちになったりします。こうなるとイタチごっこで、相手の所作のひとつひとつに神経を逆撫でされるというような状態になったりします。(念がこわいねん・・・参照)

私達は大人として普段様々な環境に対応したりしていますが、実家へ帰るととたんに昔の自分に戻ってしまうというような経験があるかと思います。親元を離れて暮らしている人などは、特に感じるのではないでしょうか。これは、親も子も、お互いに対する強い固定観念があるからです。意識していなくても、根強く「親はこういうもの、子供の自分はこういうもの」というような感覚が残っています。両者にこれがあるために、一緒になるとお互いがそのように振舞ってしまうのです。

身近に居る人、或いは長い時間をともに過ごした人とは、そういう強いつながりを持っており、これは魂のつながりでもあるのですが、これは実は身近な人に限ったことではありません。

気持ちの良い自然がたくさんある場所にいくと開放的になるというのは、その場のエネルギーに感化され自分の波動がそこに同調するためです。躍動感のある音楽を聞いてテンションが上がるのも、同じ作用です。私達は普段から、エネルギーの交流ということを体験しているのです。

エネルギーとしての私達は非常に流動的であり、変化に富んでいます。エネルギーの悪い場所に行けばそれからの影響を受けますし、良い場所に行けばその影響を受けます。これは、結局自分の持っているエネルギーの質が色々あって、外部の波動によって、その一部が拡大されるために起こります。

単純に言うと、自分が素晴らしいと思っている時は、自分の素晴らしい部分に意識がアクセスしているという状態で、落ち込んでいるときは、低い波動領域に焦点をあわせているだけということです。自分のすべてを受け入れ、全体が愛するべきものであるとわかってくると、だんだん外部の影響を受けなくなってきます。

外部のエネルギーによって、拡大される低いバイブレーションがなくなるためです。解釈によっては、高波動を保ち続けている神社や仏閣などがそのまま保たれているのは、そこを満たしている波動が低い波動にまったくかみ合わないものだからだと言ってよいかと思います。

究極的には、自分の中がすべて愛で満たされている人を怒らせることができないということです。つまり、愛以外のものが存在していないところに同調できるのは、愛のみであるということ。こういうことからも、神仏や真我とつながるためには、自分をその瞬間でもまっさらにし、愛と光のみで満たすという事以外につながる方法はないということになります。


エネルギー体である私達は全てのものとつながっていると言ってもよいのです。僕はよく地震が起こる2,3日前になると磁場の揺らぎのようなものを感じることがあります。最初は気がつかなかったのですが、もしかして地震と関係している?と思うと、場所を問わず地震が起こっています。そして、揺らぎ方も震度の大きさに比例します。

また、一度にたくさんの人が亡くなるような事件などが起こるとき、同じくらいの時間に、何んともいえない恐怖と悲しみがおそってくることがあります。理由もなく、自分の感情が揺れ動くというのでしょうか。

おそらく、誰もが潜在的に感じ取ってはいるものの、それを他の理由にこじつけたりするので、関連性を見出さないし、注意を払わないということであって、本当はみんなそれなりのレベルで何かを感じ取っているはずなのです。ある霊能者は、地震があると体の一部分が痛くなるそうです。そして、その部位によって場所がわかるとか。頭は北欧とか、足はアフリカとかと言った具合に。

実際、周囲を観察してみると、僕が地震の予知として受け取っている情報を、ある人は「最近ふわふわする」といったり、「めまいがする」といったり、「なんか気力がなく、体力がない」というようなものとして受け取っている場合があります。地震の場合、地球の磁場が変化するわけですから、浮き足立った感覚というものは起こりやすくなるかと思います。また地球のエネルギーは体のエネルギーと密接に関わっていますから、体力や気力といったことにも関係してきます。つまり、グラウンディングしにくくなるということです。

西部沖地震のとき、僕はレイキのセミナーに出席していましたが、朝から頭がぐわんぐわん回っている状態で、なんでだろうと不思議に思っていました。エネルギー的なことを勉強するセミナーだったから、違う種類のエネルギーに触れてそうなってるのだと思っていましたが、その午後にどかんときました。大パニック!でも経験できて勉強になりました。注意さえ向ければ、誰にでもなんらかのサインとして伝わっているのだと思います。動物が感知できるのもわかります。結局はつながっているのですから。


よく知られている話に「101匹目のサル」という話があります。ある場所で、サルが芋を洗って食べることをし始め、その仲間も知恵をつけて同じことをし始めます。その行為をするサルがある数にまで増えると、まったく関係のない島にいたサルが突然同じ行動を取り始めるという話です。これを科学的に証明しようとするならば、魂や超自然現象と呼ばれるような領域に足を踏み込む以外、説明のしようがありません。

ここでは、生物はテレパシーでつながっており、ある一定数が同じ想念や知識を有すると、同じ種族に伝播するということです。

人間の歴史をみると顕著ですが、文明の転換期というものがあります。そろいもそろって、神や悪魔(日本的にいうなら、神と邪気、魔物)というのを信じていた時代や権力によって文明が統一される時代、産業革命著しい時代、今となってはIT産業と平行してスピリチュアル的なことが世界的に広まりつつあります。ある時期にくると、世界の大多数が同じような流れを作るのです。現代のように、物流や情報の交換が物凄いスピードで行われていれば、この変化にさらなる拍車をかけます。

水の結晶の専門家である、江本勝さんの本にこういうことが書かれてありました。ある決められた日時に何百人もの人達が、外国から「ありがとうございます」という祈りを日本の琵琶湖(名称が記憶違いかも・・)に送ってもらうという実験をしたそうです。そうすると、送られる前と後の水の結晶に明らかな変化があり、後者では驚くほどに結晶が綺麗な形をしていたのだそうです。

実はこういうことは、表面化しませんが、世界各地で行われています。僕も数回参加したことがあるのですが、ある決まった日時に同じ内容の祈りを捧げる、世界平和を願うというようなことです。昼と夜の長さが同じになる春分の日の早朝でしたが、祈りを捧げている時、世界中で同じことをしている人が何百人もいると思うと、心の奥底から震えるような感動を覚え、涙が出てきました。世界レベルでこういうことをすると本当にいいのだろうと思います。

原爆記念日には、何千もの人が一同に黙祷をします。これも同じです。が、ひとりひとりが戦争の悲しみや怒りではなく、平和ということを平和な気持ちでするのであれば、それはとてつもない膨大な平和のエネルギーを生み出すことでしょう。戦争反対という気持ちではなく、平和を祈る人が平和な心で祈る事が大事です。


僕は20代のときに、まだ色んな事を知りませんでしたから、体調が優れなかったり、思考が混乱したりするときがありました。気功の先生に電話して、電話から氣を受け取るということを何度も経験していますし、先入観のない僕にとっては不思議とすら思わない、ごく当然のことでした。

エネルギー体である私達は、時間や空間を越えた場所でも同時に存在しており、実は様々な情報交換やエネルギー交流をしているのです。ただ、皆多かれ少なかれ、「私!」というエゴがあるために、それを非現実のものとしています。だからといって、それがないわけではないのです。

これから、みんなエネルギー的に敏感にならざるを得ない状態になっていくので、ちゃんとした理解がないと混乱する人達も増えるのではないかと思っています。なんで、こういう考えが浮かんでくるんだろう、なんでこんなに精神的に不安定なんだろう、なんで理由なくこんなに疲れる、気分が悪くなるんだろうとか。どうして、こんなに人生に不安を感じるのだろうとか、ぽっかり胸に穴が開いたような虚無感に苛まれたりします。自分の中に存在する否定的なエネルギー、荒々しいエネルギーなどが際立って目に付き、心を悩ませるかもしれません。

色んなものとつながって生きているんだよ、自分の中にあらゆる側面があって、全部含めて自分なんだよ、ということを前提に考えることができたならば、つながる対象を自分から選択することも可能となってきます。つながりたくないものとはつながらない、つながりたいものとつながるということです。

つまり、自分の心の状態を自分で選択することによって、同調したいもの、したくないものを選択するということです。でも、そういうことが起きているということがわからなければ、体の状態を調べたり、お祓いしたり、精神安定剤の中毒になったり、カウンセリングに通ったりといろんな遠回り(必要なことかもしれませんが)をしなくてはいけなくなります。

喜びや健康などの波長に自分を合わせるためには、自分がそれをキャッチする状態でないといけません。つまり、積極的にそういう自分のエネルギーを高める言葉や行動を行うようにするということです。いつものやっかみや悪口をやめなければなりません。

知って欲しいことは、苦労して悩み苦しんで辛い思いをしている人は、古いエネルギーの中に焦点を合わせているだけだといえます。同時に、新しいエネルギーの流れがここに存在していて、もっと平和で喜びに溢れたものがあり、それとつながることだってできるのだということです。

これは、難しいようでいて、そんなに難しいものではありません。ただ、それを望んで自分とつながるイメージをし、体も心も新しい波動で満たされればいいのです。(瞑想の部屋、簡単スピチュレシピ、参照) あるラジオ局の放送を聞くためには、そこにチャンネルを合わせなければ受信できないのと同じで、新しいエネルギーの流れ(実は私達の中に既に存在している高波動の領域)をキャッチするためには、そこにチャンネルを合わせる、つまり良い質(愛、平和、喜び、自由、調和、癒し、楽な感覚、一体感など)について考え、感じるように務めなければなりません。

それが常になってくると、自然に波長が合い、そういうエネルギーの流れのなかにいる自分に気がつくことでしょう。当然のことながら、それにそぐわない波動(自己中心的な感情、怒り、悲しみ、分離感、孤独感、執着、苦しみなど)は一時的に表面化しますが、やがて消えていきます。この過渡期において、ある程度のスピリチュアルな知識などが助けとなります。

自分に起こっている現象がどういう理由で起きているのか、そして、自分自身がどういう存在であるのかという、もっと本質的、霊的な部分での解釈ということです。エネルギー生命体であるという自覚です。表面化してくる自分のネガティブなものに対して、あまり深刻に考える必要はないと思います。「あ〜、これが自分の嫌がってた部分か、一番見ないといけなかった所なんだ。じゃ受け入れて、愛せるようにしていこう」という感じです。

今はもうそれが意識するしないに関わらず始まっています。その表れとして、様々な新しい病気や心身症、不登校、自律神経失調などや、新手企業や政治家の摘発などと平行して、スピリチュアルの知識を深めて、自分のことを探ろうとする動きや、癒しの仕事などが出てきているのです。

これは、新しい時代への過渡期であり、混乱の時期です。そして、これは長く続きません。人間的な時間枠で言うと何十年という時間を要するかもしれませんが。これは、何百回もの転生を必要とするような、浄化(カルマの解消)や気づき(覚醒)というものが、この生一回で行われているような状態です。すべての人がそうだとはいいませんが、ほとんどの人は、この時期にそうすることで早く課題を終えることができると、魂レベルでは知っているからこそ、今に生まれてきているのです。

今のこの時期に、人生の転換期を迎えている人はたくさんいて当然です。何か新しいことをしようとか、自分の人生について考え直したり、心機一転なにか始めたいという気持ちだけが先走って、実際何をしていいのか分からずジレンマに陥ったり、ふとしたことがきっかけで新たな才能が開花したり、霊的能力なども含まれます。大変困惑する時でもあり、同時にとてもエキサイティングなときでもあります。

その自分の内面から湧き出る変化のエネルギーを受け止めてください。そして、純粋に奉仕できることはないか?と考えてできることがあるとすれば、是非それをやってみてください。生きていく上でお金を稼ぐことも大事ですから、あんまり無謀なことをするのは、お勧めしませんが、古い自分を変えたいという思いがあるならば、既に新しいエネルギーにつながりつつある証拠だといえます。

新しいエネルギーはパワフルではあるものの、勢いよく押し寄せて来るというよりは、じんわりと、でも確実に浸透していくような優しいエネルギーです。それを物凄い勢いだと感じるのは、今までのエネルギーとの質の差にひらきがあるためだと思います。気温が20度という、ごく快適に感じる場所でも、気温が40度、或いはマイナス10度の場所から、いきなりやってくると熱かったり、寒かったり感じるのに似ています。

私達は、結局ひとつにつながっていますから、自分を癒すという行為は、他人を癒す行為でもあります。また、他人を癒すことが自分を癒すことにもつながります。自分の喜びは、波動として世界に波及します。また、自分の意識を拡大することによって、世界中にいる幸せを感じている人達につながることもできるのです。自分を光と愛で満たし、平安な状態を作るのは、立派な世界平和に貢献するひとつのやり方なのです。

自分を悩ませる人がいるならば、その人を気前よく許しましょう。そして、イメージによって、光であたたかく包んでみてください。嫌な思いをしているのは結局自分自身であるし、またそれを変える力を持っているのも自分です。自分自身に嫌な部分があるのだったら、そこを毛嫌いしたり、ないものとして扱うのではなく、同じように愛と光で包んであげましょう。嫌だと思うところも自分です。でも、それはほんの一側面に過ぎないのですから、本当は嫌いになったりしなくてもいいことです。そういう部分を感情的にならずに、ただ光で優しく包んであげてください。

親を嫌う自分、ついつい反省や後悔でいっぱいになってしまう自分、人を悪くいったり、意地悪する自分、人の愛や優しさを受け入れられない自分、弱弱しい自分、うまく生きられない自分、そういうあらゆる否定的な自分と思っている場所に、光を注いでください。そうすると、結果的に、その部分の反映である他人の嫌な所が気にならなくなっていきます。又は自分の人生から姿を消してしまいます。

私達はエネルギーの存在であり、ひとつにつながっているために関係し、同じような波動を持った人に巡り合います。表面的には正反対のようでも、実は同じです。また、自分が癒されて、本当に私達は光の存在であるとわかってくると、あらゆるものに対して光をみるようになってきます。そこに善悪の判断もありません。嫌な人も好きな人も自分自身も、結局は光なのだということです。

こういう見方ができるようになると、私達は平和であるしかないのです。私達が互いに放つ念波が愛であり、優しさであれば、それを受け取る方もそれに感化されます。また、101匹のサルのように、絶対数を越えると、それは世界的な現象となります。つまり、戦争をしようとか、奪い取る、争うというような発想が消えてしまうということです。

僕は、世界がこういう方向に向かっているのだと強く信じたいと思いますし、自分を含めてたくさんの人が古傷や役に立たない固定観念を手放し、新しいエネルギーの流れを使って変化していくことにワクワクしています。そういうことから、微力ながら、音楽やカウンセリングやヒーリングを通して、又このサイトを通して、お手伝いをさせてもらっているわけです。


私達がひとつであることを思い出し、世界が平和でありますように。

オーラとチャクラについて

今は多くの人がオーラについて以前よりも関心を持っているようで、僕もよく何色だとか、どんな感じとかを聞かれることが多くなりました。江原さんと美輪さんのテレビの影響大だと思います。

僕は長い間エネルギーワークというものをしていました。いわゆるヒーリングと呼ばれているものですが、そのエネルギーワークというのは、結局人のオーラやチャクラ(エネルギーセンター)をクレンジングして、バランスを整えるという作業です。

オーラというのは、人の体を取り巻いている波動とでもいいましょうか、磁場のようなものです。これは、ちゃんと見える人が見れば各層に分かれていて、肉体、感情、精神などの基本層に倍音のように高次元においてのオーラおよびチャクラが存在しているということです。

オーラは一定であることはありませんが、その人の人格(癖、傾向、今起こっていること、比較的近い過去や未来)などを表現しています。これは、逆説的な表現で、本質と異なりますが、詳しくは後で説明します。

オーラは瞬時にしてその輝きを変える部分もあれば、その人の根本的な性格を現す部分として、定着しているものもあります。

例えば、怒りというオーラは、ささくれていて、痛いとすら感じる形です。また色に例えるならば濁った赤です。また、結婚間近で幸せいっぱいの人は、とてもやわらかで、しかもふわふわしたようなピンクのオーラをまとっています。また、悲しみや絶望感などは、オーラの輝きがとっても暗くなります。また、嫉妬のオーラというのは、粘着質のどろどろとした気持ちの悪い感覚として表現されています。

僕の場合、見るというより、それを直感的に感じ取るほうが強いので、はっきりとした色が見えるわけではないのですが、何色かと考えるとそれにふさわしい色が見えます。

また、オーラというのは、その人の感情の動き、思考の動き、また肉体的な状態を示しますから、話をしながらその人の本心が見えるということがあります。

たとえば、緊張度の高い人というのがいますが、そういう人のオーラは文字通り緊張していて、固まっているように感じますし、思考がまとまらない人というのは、オーラに隙間があり色んな色がまざりあっていたり、統一感のない形をしています。

また、疲れやすい人や外部からの強いエネルギーでオーラががたがたになっている人は、人の中にいくのが怖いと感じるでしょうし、実際オーラに穴があいているような状態で、留めておくべきエネルギーを漏らしているという感じです。

あの人にはオーラがある、ない、といった表現をよく耳にしますけれど、生命体である以上オーラの無い人はいません。ただ、そこに輝きがあるかどうかということになります。オーラが輝くというのは、結局その人の自信であり、また、その時の精神状態をどのように保っているかということです。



「私は素晴らしい」と思っている人のオーラは輝いています。これは、すごく単純な話です。僕は、以前最悪の精神状態のときに霊能力のある古い友人に会うことになりました。その時は、虚勢を張って、頑張ってる、以前よりも成長しているんだという所をみせようと思ったのです。強がりですが・・・。そこで、「自分は素晴らしい」と言い聞かせ、光輝くオーラをイメージして、会いにいったのです。そうすると、その友人の第一声が「なんか、すごい輝いてるね」と言ったのです。後になって、無意味なことをしたもんだと反省しましたが。

でも、これは、いい例でもあります。つまり、自分のポジティブな思いによって、オーラが変化するという単純な例です。よいことを思い続ければ光がどんどんまして、実際自分がそのオーラによって、守られ、輝きます。嘘からでた誠というわけです。よって、オーラは身に着けるもの、自分の意志や態度によって変えられるものです。

一週間も「私は素晴らしい」と言い続けてみましょう。その瞬間から輝き始めます。ただ、打ち消さないように。

よくオーラが浮いてしまっている人がいます。(自分もよくあるのですが)つまり、体の周りを取り巻くはずのオーラ(生命エネルギー)が頭の上に3分の1ほどずれて上がってしまっている状態です。こうなっている人は、考えがまとまらない、常にふわふわしている、体力がないなどを経験しています。

他の項でも度々登場しますが、グラウンディングということができていないとこういう状態に陥ります。つまり、しっかり根を張ることによって、この地上からエネルギーをもらい、又しっかり生きていくということから遠ざかるわけです。原因は様々ですが、チャクラの項でも話をしますが、精神性が高く、知識も豊富であり、又想像力豊で、妄想癖のようなものがある人で、体をあまり使わない、運動不足の人がこれにあたります。

これとは逆にグラウンディングはできていても、地中に埋まっているような状態の人は、日常的なことにどっぷりと漬かっていて、それ以外は受け付けない、非現実的なものや空想というのが不得意であり、生きることが重荷のように感じています。つまり、人生に夢を持ったり、インスピレーションのままに行動したり、という軽快さがない人がこれにあたります。

極端な例ですが、要はバランスということです。

また、オーラの大きさというのもあるのですが、これは大きいからいいとか小さいからダメということではありません。子供のオーラは大人に比べれば一般的には小さいですが、輝いており、とても澄んだ色を放っています。大きなオーラを持っている人でも、密度が薄く生命力が乏しい、(これは、自分を本来の自分よりも大きく見せようとしている場合もあります)ので、エネルギーが希薄になってしまって、バイタリティーに欠ける状態です。存在感はあっても、それがどことなく頼りない印象を与えるかもしれません。ちょうど虚勢を張っていた僕のようにです。

また小さいオーラでも、生命力に溢れた人もいます。ただ、活力はあるけれど、自己中心的な印象を与えるかもしれません。まわりと同調する、つまり空気を読むということが苦手です。空気を読むというのは、人と人のオーラが触れ合って、そこでコミュニケーションを無意識にすることで行われるものですから、その襞が小さいとどうしても自分本意に考えてしまいがちということです。こういう人は、もっと本当は気を楽にもって回りと干渉しあうことを許すとバランスがとれます。つまり、干渉されたくないということの現れでもあるということです。

色にこだわる必要はないと思います。素晴らしい色というのはなく、私達みんな個性があるようにオーラの色にも個性がありますから、この色というように限定しても意味がありません。それよりもそれが意味すること、どのようにバランスをとったほうがいいのかということを知るほうが大切です。

衣服の色はオーラに影響するといわれています。僕もできるだけ色彩豊な、或いははっきりとした色、優しい色など、その時に応じて着るようにはしていますが、瞑想などで、自分に必要な色を身にまとうのは良いかと思います。僕はいつも白(オールマイティー)を使います。

人というのは、不思議なもので、すぐに優劣を知りたがります。自分のオーラはどんな色でどれくらいの大きさで、どんな形をしていて・・・などです。でも、今の自分(潜在的な側面も含めて)のすべてがオーラに現れているわけですから、よほどの勘違いをしていなければ、自分のオーラは想像つくことだと思います。そして、その瞬間瞬間で輝きが変わるのですから。

チャクラというものがあるといわれています。僕はヒーリングの際にこのチャクラという概念を使います。概念といったのは、これは、あってないようなものであると思っているからです。しかし、不思議にもこの肉体を持っている人はみなチャクラがあります。(僕があると思って見ているからかもしれませんが)話が面倒ですね・・・。

チャクラの概念をわかりやすく例えると、針鍼灸などで使われる経絡というものに似ています。つまり、ツボであり、エネルギーの通り道です。チャクラはこれの親方だと思ってください。
メインとなるチャクラ(エネルギーの車輪という意味)は、7つとも13とも言われ、その見方によっては、その倍も存在するといわれていますが、ここでは、メインの7つについてお話します。

私達の体はエネルギー体の中に存在しており、それをオーラと呼んだり、その中枢的な役割をするものをチャクラと呼びます。そして、チャクラはそれぞれの肉体の器官と関連しているほかに、精神的、感情的な部分、又色や音にも関連しています。これをうまく使っていくと、心身ともに健康になる治療が施せるのです。

第一のチャクラ(ムーラダーラ) は、会陰(尾てい骨)に位置し、赤、音はド、と共鳴します。(音に関しては一般化していいものか疑問がありますが)ここは、生存を意味し、この地球上で生きるために地球とつながる大変大切な場所です。また、恐怖や過去の感情、記憶ということにも関連しています。

ここが弱ると活力に欠け、人間の持つ原始的な本能といった生きる力を得られません。ドラムやベース音などは、ここを活性化してくれます。ズンズンと響く、低いドラムの音、クラブなどで流されるようなものから、大きな和太鼓のようなものは、ここを活性化する役割をもっています。

第2のチャクラ(スワディシュターナ)は、丹田と呼ばれる場所(ヘソの5センチくらい下の周辺)に位置し、色はオレンジ、音はレと共鳴します。

ここは、主に生殖器、セックスと関連する他、創造力(ものを生み出す力)や自尊心ということや、享受する能力とも関連しています。ここが乱れている場合、自分を大切にするという感覚がわからなくなります。誰とでもセックスをしたり、またセックスに対して嫌悪感を抱いたり。また自分を大切にすることが自尊心なので、相手との位置関係などに苦しむパートナーを選択したりします。享受するというのは、つまり自分自身を受け入れ、よいものを自分にとって良いものとして受け取るということ。

自尊心がなければ、良いものを良いと分かっていても受け入れられないということが起こってきます。ここに共鳴する音楽は、ダンスミュージックなどが主ですが、ラテン系の音楽にも強くその要素があります。気をつけて欲しいのは、活性化とはいうものの、過度に活性化されるとバランスを失っているのと同じですから、綺麗になるイメージをすることが大切であり、なによりも自分を慈しむということがどういうことなのかと理解することは大切です。

第3のチャクラ(マニプ−ラ)は、みぞおち(太陽神経叢)に位置し、色は黄色又はゴールド、音はミと共鳴します。

ここは権力、感情のチャクラと僕は理解していますが、様々な説があります。ストレスを受けるというのは、この部分であり、内臓の中でも胃にきます。日常の中で様々な権力(上司、部下、先生、生徒、親、子供、恋人)に関連しているストレスをここで受けてしまうのです。権力というとものものしいですが、どっちが正しい、間違っているというようなことで争うのもこれにあてはまります。つまり、自分が上か下かということで和解しない状態です。

ここは又、物理的な超能力を発揮する場所とも言われています。僕にはちょっとピンときませんが、ただ、人の念を受けたり、霊障害を起こしている場合、ここが極端に弱っている場合があります。こういう人は、当然ですが、胃腸が弱くなりがちです。

バーバラ・アン・ブレナンの著書「光の手」には、様々なチャクラとオーラの症例が記載されていますが、彼女によると、このマニプーラには本来保護膜があり、健康に保たれているものの、ストレスなどによって弱ってくる(エネルギーの流れが悪くなる)と膜が破れて、霊的な障害を受けやすくなるのだとありました。今ではありませんが、僕も一時期人の否定的な波動を受ける場合、この場所で受けていてよくお腹がいたくなるということを経験しているので、これは僕にとっては正しい解説でした。

防御方法としては、お腹周りに鏡を張るイメージをするといいというものがあります。要はそういう力関係でエゴ(自我)の押し合いのように関係しあうのではなく、もっとハートから関係を築くように努力していくべきであり、また、これからの時代は、ハートの時代ですから、それがもっとしやすくなるといえます。

第4のチャクラ(アナハタ)は、胸の中心に位置し、色は緑又はピンク、音はファと共鳴します。クリスタルボールのF(ファ)の音によって、このチャクラが開かれる体験をしたときは、本当に驚きましたし、実際に(自分にとっては)この波長がしっくりくるのだと実感しました。

ここは、ハートですから、愛を与えたり受けたりする場所であり、また下の3つのチャクラと上の3つのチャクラをつなぐ(天と地をつなぐ)大切なセンターです。第3が自我を象徴するとすれば、ここは大我となるための通り道であると考えることもできます。つまり、自分という存在から、全体という見地から物事を見ることを可能にする場所です。

人によってはこのチャクラが閉じている、或いはダメージを受けているのを見かけます。ショックなことが起きたり、大きな失恋によって心を閉ざすというのは、まさにこのチャクラが閉じているという状態を指します。ここが閉じると本来の魂の持っている能力が発揮できません。できたとしても否定的に作用してしまいます。

例えば、サイキックな能力を持っていたとしても、類稀なる創造性を持っていたとしても、自虐的であったり、人を貶めたり、エゴを肥大させるような利己的なことにこれを使ってしまうということが起こります。ハートが開いてれば、どうやって世の中の役に立つだろうかという発想ができますし、また、どんなに小さな愛の表現にもうれしく思えるものなのですが、閉じていると悲観的であり、不信感の塊のようになってしまいます。

後でも再度繰り返しますが、チャクラは開いているのがいいというわけではありません。バランスが大切であり、偏ると様々な障害とさえなるのです。が、しかし、そうなったのには理由があり、ある経験を通してエネルギーがある状態になっているということであって、開いている人が偉いとか、閉じているとダメとかそういう次元の問題ではないのです。

何を学んでいけるか、ということが、チャクラから学び取れるし、そこを活性化したり、バランスを取るという行為は、結局自分の心のあり方や生活習慣を改めるなど全体のバランスをとっていくということ以外の何物でもありません。

エネルギーワークによって一時的にそこが綺麗になっても、自分の考え方を変えようとしない頑固な態度や相手を非難するだけの態度であれば、また同じ状態を引き起こすのです。エネルギーを正しくすることで、自分のバランス感覚を取り戻すきっかけになりますが、結局正すのは自分であり、チャクラとは自分を表しているものであるということを忘れないで欲しいです。

このハートチャクラは、重要であるだけに(すべて重要ですが)、その扱いも慎重でなければならないところでもあります。先にお話した、何かのショックによって閉ざしたハートというのは、言ってみれば自分を防御するための行為であり、二度とそのような状態に陥らないようにするためのものでもあるわけです。ですから、これを無理矢理こじ開けようとするヒーリングをもし施したら、この人は同じようにショック状態になってしまいます。

まずはじっくり自分で過去の傷と向き合って、また傷つく危険性よりも、本当は自分が愛を与え、受け入れるということを望んでいることや、前向きになって自分を許す、相手を許す、人生というものをもっと大きな視点から観察することで安心を感じるということを育てつつ、徐々に氷がやさしい春の日差しに溶解するように進めるべきものだと思います。なんとかしたいといって、早まることは危険を伴いますので、安易に考えないようにして欲しいです。

話が長くなりました。次にいきましょう。

第5のチャクラ(ヴィシュダ)は、喉に位置していて、色はブルー、音はソと共鳴します。ここは、表現の場所であり、またリンパ腺、免疫力などとも関連している場所です。

ここは、音でのコミュニケーションを図れる場所ですから、閉じていると自分を主張したり、表現するということが上手くできません。僕は幼稚園のときに扁桃腺の手術をしていますが、小さい頃は比較的おとなしく、言いたいことが言えない消極的な子供でしたし、何かというと喉がはれて声が出ないという状態でしたから、結局手術をするはめになってしまいました。不思議なもので、僕は音楽に出会ってから、そして、よく歌うようになってから喉が腫れるというのがなくなってしまいました。

また、歌を教えていてよく感じることは、声を使う、大きな声を出したり、歌で自分を表現することをしていくことによって、ここは自然にひらいていきます。他のチャクラでも同じことですが、結局働きかけることによって、活性化されていくものです。小さい頃の自分と今の自分は同じ人間ではないのでないかと思うくらいに、(この話はまた別の所で)今は表現することが仕事であり、喜びになっています。

ある、セミナーで各チャクラを瞑想によって見ていくというのをしました。自分のチャクラを見るのは本当に面白かったのですが、自分のこのヴィシュダは、まるで水晶、それも何十メートルもあるような大きな水晶体の集まりであり、自分がそこで発する音がいろんな水晶にぶつかり反響して、それ自体が音楽のようになっていました。言葉がエネルギーとして発せられるというのを体験!?した瞬間でもありました。もっと遊びたかったんですが、時間切れで・・・。

自分によい言葉を発すると自分に光を浴びせているということと同じであると思いますし、正しい音階やメロディーを歌うというのは、大きなヒーリングになるのです。

第6のチャクラ(アジナ)は、額の中心に位置しています。色は紺色、或いは紫、音はラと共鳴します。ここは、第3の目と呼ばれる場所であり、サイキックな能力、霊能力、予知、透視など、直感やインスピレーションを受けたり、自分の人生を想像する場所、アイデアを受ける場所です。

ここが開いている人は直感に優れたり、人によっては霊能力を発揮します。閉じている場合、直感的な部分にうとくなりますし、知識が優先して頭でっかちのようになったりもします。僕が見たときのこのチャクラは、とっても不思議な場所でした。ほとんど暗闇に近い状態で、しかも善悪もない、全くの無、時間も空間の終わりも始まりもないというような場所であり、「わぁ〜なんだここは〜」と思いましたが、”直感的に”ここは、何でも作り出せる場所である、青写真を作る、物理的な状態になる前のものを作り出す場所であると分かりました。また、無限のアイデアの宝庫でもある場所です。

ここは、使い方次第では、何でも手に入れられる場所のようでもあるのですが、エゴからここが使われると、大きなしっぺ返しをくらうことになるので、自分の魂磨きのための道具というように使わないといけないのだと悟りました。霊能力開発とか言って、ここを開くようなことだけにフォーカスしたセミナーや本などがありますが、先ほどもいったように、ひとつのチャクラが開いても、他のチャクラとのバランスが悪ければ、ネガティブにしか作用しませんし、とんだ迷妄の世界にはまり込んでしまう可能性もあります。

様々な次元とつながっている場所であるけれども、自分の想念も関与できる場所であるために、エゴの妄想を信じ込んで、人生を思わぬ方向に狂わせてしまうことにもなりますから、一番大切なのは、ハートを磨くことです。それに付随した能力であれば、使い方もおのずと善のものとなるのですから。だから、霊能力があるというのは、人格的に優れているというのと別であるということです。

霊能力のあるなしは人間性やその人の価値と全く関係ありません。だから、それを盾に人に対して横柄に振舞ったり、理不尽な要求を押し付けてくるような人がいるので、注意しましょう。自分のもてる本来の力や輝きに気づかせてくれるそういう人なら、耳を傾けて損はないかと思います。

私達には普通に備わった叡智があります。ですから、こういう霊能力などを追い求める時間があるのであれば、直接その叡智(真我)を求めたほうが手っ取り早いです。

第7チャクラ(サハスラーラ)は、頭頂に位置し、鍼灸などでいう百会という場所にあり、色は白、又は深い紫など、音はシに共鳴しています。

ここは、高次の自分、あるいは世界とのつながりを得る場所であり、自分が霊的存在であるということを認識し、自分の仏性を得る場所でもあります。ここが閉じている場合、霊的なものをまったく別次元の話ととらえるでしょうし、 高い場所から見る自分の人生や自分自身の全体像をイメージするのが困難になります。

ハートチャクラと同様、宇宙的な見地から、全体としての個人、また大宇宙の恩恵によって生かされているというような、大いなるものとの一体感、(魂同士、生命全般との一体感)ということからも切り離されてしまいます。言ってみれば、ここが開くことによって、自分という存在の小ささと大きさを知ることになるのです。

しかし、多数の人は、ここがあまり開いておらず、またそれはこの世界の物理的な側面.に焦点を合わせることには好都合なことだともいえます。ある時期が来るまでは、ここが開かれないようにしている魂もあるかと思います。

何度も言いますが、要はバランスですから、ここだけが開いていると日常生活がとても無意味に思えたり、肉体に注意を払わないために病気になったりします。

これは、高波動なエネルギーだけを肉体に与えるようなことをすると、波動からすると低い次元にある肉体には十分なエネルギーが流れないためです。チャネリングという自分の波動を上げて、高次元の存在とのコミュニケーションをとる場合、グラウンディングを忘れていると、つながっているときは気分が高揚していますが、終った後には、体に負荷がかかるために、結果的に肉体が弱くなります。

自分も経験していることですから、これは本当に大切です。グラウンディングしていない状態での高次元波動を取り込む行為は、アンバランスを生み出します。


チャクラについての概略を説明しましたが、これだけでは説明しきれない奥深さもあり、単刀直入にこうである!と言えるものではありませんが、ポイントはバランスであり、精神的、感情的、肉体的な健康というのは、相互に関与しあっているのだということです。また、大きく言えば、私達は肉体次元の生物であり、また霊性をもったスピリットであるということです。

今までの時代は、下の3つ、ムーラダーラ、スワディシュターナ、マニプラがメインとなってに関係しあっていたのが、今からは上の4つ、アナハタ、ヴィシュダ、アジナ、サハスラーラとのバランスをとる時代になってきている。つまり、自分達の霊性に目覚める時代となったわけです。これは、情や権力や恐怖から成り立っている体制が崩れ、愛、共鳴、クリエイティブ、芸術性、仏性と叡智を基盤とした世界が作られるように変わっていくということを示しています。

バランスのとれた、霊的存在である人間という自覚のもとに社会が作られていくということです。


オーラやチャクラのクレンジングやリバイタライゼーションは、瞑想の部屋、ヒーリングミュージックを参考になさってください。




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